悪沢岳初冬 ~ 遥かな遠き雪嶺3,141mへ (南アルプス南部)
- 投稿者
-
伊藤 岳彦
横浜西口店
- 日程
- 2015年12月15日 (火)~2015年12月18日 (金)
- メンバー
- 単独行
- 天候
- 概ね曇
- コースタイム
- ■ 12月15日(火) 曇のち雨
沼平(270分)椹島
■ 12月16日(水) 曇時々晴
椹島(270分)蕨段(150分)千枚小屋
■ 12月17日(木) 曇時々晴
千枚小屋(150分)悪沢岳(100分)
千枚小屋(300分)椹島
■ 12月18日(金) 快晴
椹島(270分)沼平
- コース状況
- ■ 静岡井川間県道の交通規制有 要確認
■ 県道60号 沼平まで通行問題なし
■ 東俣林道は工事車両の往来と落石に注意
■ 椹島冬期小屋 利用可 大井川飲料不適
■ 積雪は見晴台より ワカン使用せず
■ 千枚冬期小屋 利用可 流水有
■ 千枚岳より先 ロープなしで下降可
- 難易度
感想コメント
Ⅰ.概要
日本第6位の高峰である悪沢岳(3,141m)。
深大な南アルプスにおいても、最も奥深い3,000m峰として重厚な風格を有し、盟主赤石岳と対峙しながらその核心部に君臨します。
大井川西俣と奥西河内を懐に抱くその胴回りの巨おおきさは、さながら野呂川を従えた北岳の重量感溢れる体躯に比肩すると言っても過言ではありません。
山稜は西に荒川前岳と中岳(魚無河内岳)の3,000m峰、北面に西小石岳を越え大井川西俣に落ちるもの、東進して千枚岳を起こしてのち二つに分れ、南走して蕨段と小石下を経て奥西河内出合に消えるもの、そしてマンボー沢頭を経て二軒小屋へ急下降するものとに大別することができます。
厖大な山容らしく四方に尾根や稜線を広げ、遥々と訪れる登山者を迎え入れますが、大井川上流域の開発が進んだ現代においても、冬期は赤石岳や聖岳と同様、長いアプローチを余儀なくされ、未だ僻遠深奥の感を今に残しています。
Ⅱ.冬期ルートについて
悪沢岳冬期登頂を目指すには、三つのルートがあります。
A.小渋川ルート
一つ目は長野県側の天竜川支流小渋川を遡るアプローチ。
大鹿村の大河原を基点とするルートで、いわゆるウォルター・ウェストンゆかりのクラシックルートと呼ばれるものです。
マイカーであれば湯折ゲートまで進入可能で、そこから七釜橋を越え、榛沢出合までは渡渉せずに進むことができます。
しかしそこからは一転、夏期でも水量が多ければ、腰上までの渡渉や急流突破を強いられます。
冬期においても、渡渉というよりも遡行と言うべき困難な川歩きを克服しなければなりません。
その後広河原から苦しい樹林帯の急登を経て大聖寺平に至り、荒川三山を踏破することになりますが、このルートは昭和3年に慶應義塾大学山岳会が冬期初登頂した際に利用されています。
とはいえ近年このルートを辿る記録を見ることはありません。
ただ小渋川遡行はどちらかという赤石岳冬期登頂のための長野県側ルートであり、昭和の時代には果敢に挑むパーティーが多く見られたようです。
かつて健在であった広河原小屋も既に半壊状態にあると思われるので、現在は全て幕営にて前進しなければなりません。
しかし最近は冬期に小渋川からアプローチする方はまずいないと思われますので、失われた冒険を求め、敢えて挑戦してみるのも面白いのではないでしょうか。
B.伝付越え
二つ目は山梨県側の早川町田代からのアプローチ、いわゆる伝付でんつく越えです。
畑薙第一ダムまでの静岡県県道60号線が崩落などで通行止めになった場合などに、今でも夏期に使い得る峠越えの道ですが、地質的に脆いため台風の影響などにより登山道の崩落が進行しています。
実際2011年の台風による土砂崩れや桟橋崩壊で通行不能となったこともありますが、2013年にルートが変更され、現在は通行可能になったようです。
昔私が歩いたときは広河原から内河内川本流沿いに大滝見物などをしながら桟道を歩くルートでしたが、現在は広河原から発電所脇の支流を登り詰めて八丁峠を越え、内河内川を渡渉して従来の登山道に復帰するルートに変更されているようです。
ただ40年以上前のガイドブックを見ると、後者のルートが紹介されているので、本来の形に戻ったとみなすべきなのかもしれません。
昭文社のエアリアマップで最新のものと少し前のものとを見比べてみると、変更された箇所がよく分るので、お持ちの方はご覧頂けると幸いです。
そもそもこの伝付越えは明治時代の幻の道と言われる「伊奈街道」の一部。
明治19年に開通した当時は、甲州新倉(田代入口)から伝付峠を越えて大井川西俣を遡り、三伏峠を越えて塩川から大鹿村大河原へとつないでいました。
伊那谷から身延山へお参りに行く人もいたようですが、元々の目的は伊那谷に駿河の海産物を運ぶためのもの。
しかし保守管理が大変困難であるため僅か数年で街道としては利用されなくなりました。
それ以降は昭和初期より電源開発のために電力会社による管理がなされたようですが、最近では重要性も低下しているのか、登山道は荒れ放題で、現在では細々と一部の登山者にのみ利用されている状況です。
本来は北アルプスの徳本越えに匹敵するほどの価値があり、歴史の重みだけでなく、風光明媚な峠越えの道の素晴らしさを脈々と今に伝えてくれるべきものですが、時代の電力需要により人為的に手が加えられ、あるべき自然の姿を留めていないことが大変残念でもあります。
実際に歩いてみると分りますが、過去に電力会社が設置した鉄橋や階段の崩壊や腐食が激しく、朽ちた電信柱や鉄筋が風情を奪っています。
とはいえ、大井川上流域の開発が行われるまでは、むしろ通年のメインルートとして利用され、昭和の頃は冬期でも多くのパーティーが足跡を刻んでいたようです。
小渋川ルートに比べれば、峠越えと、マンノー沢頭への長く苦しい登りがあるものの、冬期では比較的安全性の高いルート。
二軒小屋登山小屋と千枚冬期小屋を利用できれば幕営も不要となります。
しかし起点である早川町田代入口から一日で二軒小屋に辿り着くのは決して容易なことではないので、初日のアプローチでかなり労力を費やしそうです。
C.大井川ルート
三つ目は静岡県側の畑薙第一ダムから大井川沿いに椹島まで歩く長いアプローチ。
静岡県県道60号線さえ通行可能であれば、畑薙第一ダムより先にある沼平ゲートまでマイカーにて入ることができます。
例年クリスマス頃まではチェーン不要で進入できると思われます。
またゲートより少し手前に無料の駐車スペースが広くあるのも便利なところ。
南アルプス南部において最もポピュラーな冬期登山口でもあります。
悪沢岳登頂に限らず、畑薙大吊橋経由での上河内岳登頂、或いは聖岳東尾根や赤石岳東尾根冬期ルートを目指す方も多く利用されます。
椹島まで重荷を担いで4時間以上の林道歩き約17kmを強いられるのは決して楽なことではありませんが、厳冬期の北岳を目指すときには避けられない南アルプス林道の通行問題のような難しい案件がないのはありがたいところ。
椹島登山小屋と千枚冬期小屋を利用できれば幕営も不要となるので、冬山としてはかなり条件に恵まれたルートと言えます。
椹島から千枚岳への長大な尾根歩きは積雪の状態によってかかる時間も異なり、万が一に備えテントは必携ですが、危険個所はないのであとは体力勝負になりそうです。
悪沢岳冬期登頂のために危険とされる箇所は、①マンボー沢頭から千枚岳に続く黒木の北側斜面のトラバース、②千枚岳から悪沢岳に向う際の短い岩稜帯の下降、③悪沢岳と中岳の間にあるコル中間点、とされます。
これを考慮すると②さえクリアできれば、総合的にみて大井川ルートが最も安全性と確実性(登頂成功率)が高いことが分ります。
暖冬傾向にある2015年12月中旬であれば、単独でのラッセルも可能と判断。
あとは天候次第。
最終的に今回はこの大井川ルートによって、冬の南アルプスの奥深さを存分に堪能することにしました。
【↑】 千枚岳より椹島方面を望む
Ⅲ.遠き雪嶺 悪沢岳へ
∞ 沼平から椹島へ ∞
大日峠を越え、井川へと道が長く下り始めるとようやく南アルプスの雪嶺が大きく望めるようになります。
この時期東京から遥々訪れた者には、心が躍る風景。
そして多難な前途を予感し、否が応でも緊張感に心が支配されていきます。
南アルプス南部を来訪するときは、静岡市街から井川湖を目指さなければなりませんが、冬期は県道の工事が例年頻繁に行われていますので、通行には注意が必要です。
バス路線でもある「県道189号三ツ峰落合線」か、険しい山道である「県道27号井川湖御幸線」のどちらかが通行できるようにはなっていますが、通行時間規制がある区間がある場合もあるので、事前に調べておかなければなりません。
以下のサイトをご参照ください。
http://www.city.shizuoka.jp/000_002238.html
東京から畑薙第一ダムまでの距離は、北アルプス新穂高温泉までの距離よりは短いものですが、峠越えが大変なので、何となくより遠く感じてしまいます。
井川ダムからは「県道60号南アルプス公園線」へ。
最後のトイレがある畑薙第一ダムまで順調に進むことができます。
終点である沼平にようやく到着すると、やはり運転だけで一苦労の感があります。
ゲートの少し手前に広い駐車スペースがあるので、そこを利用するとよいでしょう。
初日は椹島まで約17kmの林道歩き。
林道の長いアプローチは冬の南アルプスでは避けては通れない通過儀礼のようなもの。
予想していた通り積雪は全くないので、順調に距離を稼ぐことができそうです。
ただ工事車両などの往来と落石には充分注意したいところです。
【↑】畑薙湖
【↑】畑薙大吊橋
【↑】しばらく左岸を行きます
【↑】雄大な大井川の流れ
畑薙橋を渡ると、道は大井川の左岸から右岸へ。
冬でも躍動横溢する大井川の流れに目を奪われながら、延々と林道を歩き続けます。
途中に白く輝く聖岳や上河内岳を美しく眺めることができるポイントがあり、長い林道歩きにアクセントを与えてくれます。
【↑】聖岳を望む
赤石渡から林道は勾配のある上り坂となり、赤石ダム脇のトンネルを越えると、目の前にコバルトブルーの湖面が広がります。
2年前の年末に訪れたときは、トンネルの出口でアイゼンを装着したのを覚えています。
【↑】コバルトブルーの湖面
今年は本当に雪が少なく、年末に聖岳東尾根を登られる方などは倒木に難儀されるのではないでしょうか。
トンネル出口からさらに少し登ると今度は緩い下り坂となり、新聖沢橋を越えると聖沢登山口。
幕営に適した平地もあり、水量のある枝沢が隣を流れています。
【↑】新聖沢橋上より聖沢を見下ろす
この先では小規模な崖崩れがあり、修復工事もされているので、落石に注意したいところです。
発電所を過ぎ、赤石沢の流れを右に見ながらさらに歩き続けると赤石沢橋へ。
名渓赤石沢の袂より赤石岳を遥かに望むことができる牛首峠まで来れば、椹島はもうすぐです。
【↑】牛首峠より赤石岳を望む
牛首峠からは烏森山遊歩道を辿って椹島に向かいます。
ずっと砂利道を長く歩いてきたので、土の感触が心地よく足に伝わります。
沼平から約4時間強でようやく椹島に到着。
【↑】深閑とした椹島
誰もいない椹島はまるで廃墟のようですが、「冬期小屋は→」の案内板に何か人の温もりを感じてしまいました。
晴れていれば広大なキャンプサイトでのんびりしたいところですが、今回は天気が下り坂のため、椹島登山小屋(冬期小屋)を利用させて頂きました。
窓は閉められ中は真っ暗ですが、畳が敷いてある昔ながらの山小屋は本当に有難い存在です。
【↑】真ん中が冬期小屋です
まもなく日没。
水は当初大井川本流に汲みにいきましたが、上流で工事が行われているためかひどく濁っているのが夕闇のなかでも分かります。
仕方がないので、ヘッドランプをもって赤石沢まで汲みに行かなければなりませんでした。
ここは椹島に着く前に水を調達した方が賢明でしょう。
小屋に戻ると、まるで演出されたようなタイミングで本降りとなりました。
しとしとと降り続く雨が屋根を叩く音に包まれながら、静寂な椹島で過ごす夜。
都会の喧騒を離れ、たった一日でとてもとても遠い世界へ来てしまったような気になりました。
∞ 椹島から千枚小屋へ ∞
二日目は千枚岳より南東に派生する長大でなだらかな尾根を辿りますが、ここは積雪量によって行程が大きく左右されるところ。
今回は明らかな寡雪により、ワカンさえ使うことなく無雪期とほぼ同じコースタイムで歩くことができましたが、積雪多量の場合は駒鳥池手前まで行くので精一杯のときもあるようです。
【↑】千枚岳登山口
滝見橋より登山道に入り、立派な吊橋で奥西河内を渡るといよいよ長い登りが始まります。
以前は小石下の林道横断点までトラバースする道(旧道)でしたが、現在は崩落により鉄塔のある小ピークを登らなければなりません。
急登の先で鉄塔を2本過ぎると岩頭見晴と呼ばれる岩尾根上から、遥かに千枚岳を望むことができます。
【↑】岩頭見晴よりこれからの登路を見上げる
因みにこのコースには随所に案内板があり、千枚小屋まで□/7と記されたものがあるので良い目安となるでしょう。
【↑】残念ながら...!?
岩頭見晴から林道に上がると、そこからは林道を絡めながらダラダラと長い坂道が果てしなく続いていきます。
このコースの見所はシラビソの原生林が作りだす森の美しさ。
奥秩父をスケールアップさせたような樹林帯は、まるでどでかい甲武信ヶ岳に登っているかのような気にさせられます。
途中の清水平には冬でも涸れない(と思われる)湧き水があり、自然の神秘を感じることができます。
【↑】豊富な湧き水です
【↑】蕨段
蕨段を越え、林道が横を通る見晴台まで来ると、ようやく荒川三山や赤石岳を大きく視界に捉えることができるようになります。
因みに見晴台よりさらに先まで延びる林道は未舗装ながらよく整備されているので、少し遠回りになりますが別ルートとしても使えそうです。
【↑】歩きやすい林道です
今回帰路は試しに林道を下ってみましたが、足元を見ずにサクサクと歩くことができました。
見晴台を過ぎるとようやく雪が姿を現し、駒鳥池の辺りから雪道らしくなっていきます。
【↑】駒鳥池の標柱
荷揚げロープウェイの下を通ると、左手の方に樹木越しに千枚小屋が垣間見えるようになります。
【↑】千枚小屋はもうすぐです
まっさらな雪のなかに自分のトレースをつける感触を久しぶりに楽しみながらゆるやかに高度を上げていくと、ようやく千枚小屋へ。
【↑】千枚小屋は真新しい小屋です
【↑】富士山を遠望
【↑】笊ヶ岳は美しい双耳峰
【↑】冬期小屋の入口は2階
【↑】内部の様子
再建されてからまだ間もない千枚小屋はとてもきれいな山小屋。
小屋前より富士山や笊ヶ岳を遠望できるロケーションは素晴らしいの一言。
2階の一部が冬期小屋として開放されており、銀マットの上にゴザが敷いてあり、ちゃぶ台2つにハンガーや下駄箱も完備。
あまりの快適さにテントを張る気も失せてしまいました。
しかも小屋の少し上にある湧き水も凍っておらず流水ゲット!
結局今回は水を作ることがありませんでした。
∞ 千枚小屋から悪沢岳へ ∞
3日目は千枚小屋からは夏道通しでまずは千枚岳へ。
雪が多ければ左手の尾根をラッセルで直上した方が早いようです。
【↑】夜明けとともに行動を開始します
雲が多い黎明のなか、森林限界を越えると千枚岳はすぐそこ。
【↑】千枚岳はもうすぐ
【↑】千枚岳山頂
あいにく山頂はガスに覆われ視界はよくありませんが、ここまで来たらやはり悪沢岳を目指したいところ。
千枚岳からはしばらく岩稜のやせ尾根を越えていかなければなりません。
積雪量によって難易度は変わりますが、今回のルートで一番の危険個所は千枚岳から悪沢岳に向う際の短い岩稜帯の下降です。
下降は2箇所あり、最初の下降は距離こそ短いものの傾斜がややきつく、次の下降は距離のあるもので場合によっては要ロープとされます。
しかし今回はまだ雪が少ないため、どちらも慎重に下れば全く問題ありません。
【↑】岩稜の下降は慎重に
【↑】下降部全容
その後は幾つかの岩峰を左右のトラバースで巻きながら越えていきますが、雪が緩んでいる場合は注意したいところ。
【↑】岩場が続きます
【↑】北側をトラバースします
【↑】長い南面のトラバースは慎重に
ゴツゴツとした片岩特有の崩壊部を越えれば、広大な丸山への登り。
【↑】痩せ尾根を越えていきます
【↑】もうすぐ丸山です
白一色の大斜面を登り切るとやっと丸山山頂です。
何気に標高が3,032mある3,000峰ですが、大きな丘状の盛り上がりなので、ホワイトアウトに注意。
実際濃いガスにまかれて進むべき方向を見失い、久しぶりにホワイトアウトを経験しましたが、一瞬ガスが晴れた瞬間に登路を見極めることで事なきを得ました。
【↑】丸山から悪沢岳へ
【↑】悪沢岳直下の巨岩帯を縫うように進みます
【↑】山頂直下の岩場を進みます
【↑】山頂が見えました
ここからは悪沢岳特有の巨岩地帯を縫うように前進し、最後の大斜面を登り詰めると遂に悪沢岳山頂です。
凍り付いた標柱の前に立つと、よくぞ遥けくもやって来たという感じですが、残念ながら眺望はなく白濁色の世界が広がるのみ。
しかし一瞬だけ視界が広がり青空を覗くことができたのは、神の御加護だったのでしょうか。
【↑】悪沢岳山頂
【↑】一瞬青空が見えました
とはいえ体がかなり冷えるので、僅か30秒ほどですぐに下山。
一つ大きな登山をやり遂げた達成感に満たされるとともに、登山とは一体何なのかと思わず考えてしまいました。
【↑】帰路千枚岳への下り
【↑】雪の大斜面を一直線に駆け下ります
Ⅳ.山行を終えて
例年に比べ12月半ばとしては積雪量が極めて少ないため、とても順調に登山を行うことができました。
3,000mでもあまり寒くない、風も強くない、ワカンを使用しない、テント泊もしない、水を作る必要もない---とても冬山登山とは思えない“ないないづくし”となってしまいましたが、厳冬期に向けたトレーニングとして、装備やレイヤリング、自身の体力を確認する上では極めて意義のある山行になりました。
冬の南アルプスというと、鳳凰仙丈甲斐駒で終わりという方が多いかもしれませんが、次なるステップとしてこの悪沢岳は大変オススメです。
体力勝負となりますが、コースとしての難易度はそれほど高い訳ではないので、中級クラスの雪山としてもっと多くの方に登られてもよいような気がします。
必ずしもテント泊をすることもなく、快適な冬期小屋が利用でき、冬でも流水の確保がしやすいのは大きな利点となります。
鳥倉林道のゲート封鎖が年々早まってきているので、冬の塩見岳にも登りにくくなってきた昨今、悪沢岳に目を向ける方がもっと増えてほしいものです。
歩行距離約46km、標高差約2,200mを丸3日無心で歩いた今回の山旅。
そのなかで強く印象に残ったものは、雄大な大井川の流れと、生命力と豊潤さ溢れる優美な原生林、遥かに白く輝く雪嶺の峰々、そしてダイヤモンドダスト舞う雪稜3,000mの美しさ。
初冬とはいえ、やはり3,000mの雪山世界は素晴らしいの一言。
そこでしか体感することができない風、雲、雪、岩、空気、空の青さ。
自分の五感が無意識のうちに最大限解き放たれる感覚。
人生のうちにそう何度も来ることができないが故に、記憶として強烈に自分の脳裏に刻まれたような気がします。
そうした記憶を携え、ストレスフリーで再び店に戻ってくると、これから冬の山へと向かうお客様を心から応援したいという気持ちになるものです。
仕事だからではなく、内から湧き上がる感情としてそういう気持ちになれたのは、やはり3,000mの雪山世界を存分に経験できたからなのでしょう。
“楽しい山”“厳しい山”“自分に挑戦する山”...いろいろな山がありますが、自分らしい山に全力で取り組み、心が豊かになれば、必然的に良い仕事が日々行えるようになるはずです。
これからもこのことを忘れずに、自分らしい雪山に登り続けていきたいと思います。
Ⅴ.松濤明に思いを馳せる
“南アルプス南部の積雪期登山”について、日本登山史上で価値ある文献を求めてみても、北部の北岳バットレスのように容易に見つけることはできないものです。
槍穂高を舞台に繰り広げられる花形とも言える華やかなクライミングのドラマに比べると、やはり“南アルプス南部の積雪期登山”はかなり地味なものになってしまうからなのでしょうか。
そんななか、唯一無二!?と言ってもいいのが、松濤明の記録「1940(昭和15)年3月 春の遠山入り~易老岳から悪沢岳への縦走」です。
1949(昭和24)年1月、26歳の若さで風雪吹き荒れる北鎌尾根に逝った不世出のアルピニスト。
稀代の遺書を刻明に残し、僚友と共に再び帰らなかったが故に、悲劇の英雄としての人物像が強く印象付けられてしまいがちですが、彼の太く短く雄々しい登山人生の全てを知ると、彼の残したあまりにも早熟すぎる足跡は、日本登山史上における偉大な軌跡であり、驚愕に値するものであることが分ります。
山の古典文学とも言える「風雪のビヴァーク」を丹念に読み解いてみると、それを否応なく理解して頂けると思います。
21歳での学徒出陣の3年前、18歳の松濤明は3月23日から4月2日にかけて南アルプス南部を単独で縦走しています。
6晩連続ツェルトによるビバークで南アルプスの高峰を踏破するなか、ツェルト内の失火で大きな焼穴をつけるという災厄に見舞われながらも前進を止めず、人恋しさの思いに駆られてようやく辿り着いた椹島には誰もおらず、そこで彼が感じた途方もない孤独感についての描写は極めて印象的です。
とても18歳のものとは思えない秀逸の表現力であり、単独行者の言葉にしがたい心理を生々しく表現しているように思えます。
ここでは“山を去る 四月一日 晴”に記された、伝付峠(古くは転付峠)で松濤明が山にお別れをする場面を紹介させて頂きます。
『一週間の山旅への不吉な悔恨は今は和んで、楽しい追憶のみがよみがえっていた。あの白く輝く岳の奥から鄙びた不可思議な旋律が風に乗って伝わってくる。それが無性に私を引きつける。これを見、あれを聞く時、山へ行くのが苦しいから山へ行くのでなく、また楽しいから行くのでもない。純粋に「一つのものを作り上げること」のみを目指して山へ入れるような、氷のような山男となることのいかに困難であるかをしみじみと感ずるのだ。』
とかく登山にストイックさを追い求めてしまう方にはたまらないフレーズです。
今回私が辿ったルートのなかでは、悪沢岳から椹島までが松濤明の足跡と重複します。
12月と3月とではちょっと時期がズレますが、時を75年遡って彼が愛でたであろう風景を眼にしながら18歳の彼の心に思いを馳せてみようとしました。
松濤明は丸山下部のきわどいトラバースを越え、千枚岳から小石下まで幾度も迷いながらワカン歩行を続け、椹島まで一気に下っています。
実際に自分が歩いたあとに読み返してみると、その大変さがリアルに想像できてしまいます。
そして彼が最終日に伝付峠から見上げたであろう悪沢岳。
彼を引きつけた鄙びた不可思議な旋律とはどのようなものなのか、雪山へ行くたびに自分なりにそれを感じて言葉にしてみたいという気持ちがずっと心の奥底にありました。
アラフォーの私が激動の昭和期を精一杯生き抜いた彼の瑞々しい感性に寄り添うのは極めて至難のことであり、おこがましいのは百も承知です。
しかし白銀を纏った南アルプスの大自然は、どれだけ時が流れても本質的には何も変わっていないはず。
艱難辛苦の上に立った白き頂きを最後に振り返るとき、別れ際に底知れない切なさが込み上げてくることがあります。
<その感覚>が強烈に脳裏に焼き付く魅惑的なものであるが故に、また雪山を求めてしまう---つくづく雪山は麻薬的なものです。
鄙びた不可思議な旋律を正確に理解するのは、私にとってはほとんど不可能なことですが、<その感覚>は彼の言う旋律に通ずるものがあると思いたいところです。
そして彼が最後に記している表現、“純粋に「一つのものを作り上げること」のみを目指して山へ入る”には、どの時代でも通ずる雪山に挑む者の不変的な心構えが示されているような気がしてなりません。
「一つのものを作り上げる」とは、彼にとっては自らが定めた積雪期縦走を完成させることなのかもしれません。
しかし雪山で困難な状況に遭遇すれば誰しも心が折れそうになるもの。
そのときに一切の感情を超越して、不屈の意志をもって邁進できるかどうかが問われるということなのでしょうか。
“勇気ある撤退”も勿論重要なことですが、安易な妥協は排し、勇気を振り絞って前に進まなければならない。
氷のような山男にはそうした精神が意味として込められているような気がします。
そしてその精神を宿すためにまた我々は雪山へと向かってしまうのでしょう。
以下フォトギャラリーにてその他の写真をご覧頂ければ幸いです。
※ HTMLを使用したレポート掲載については許可を得ております。
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・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。