佐和山 / 彦根
- 投稿者
-
上田 哲也
グランフロント大阪店
- 日程
- 2018年01月30日 (火)~2018年01月30日 (火)
- メンバー
- グランフロント大阪店:上田
- 天候
- 晴れ
- コースタイム
- JR・彦根駅~25分~龍潭寺・登山口~45分~「本丸跡」佐和山(232.6m)~15分~「太鼓丸」~35分~龍潭寺・登山口~25分~JR・彦根駅
- コース状況
- 龍潭寺・登山口から佐和山の山頂までは標識を追って行けば着きます。
龍潭寺の山門は、冬季9時開門で16時閉門です。
山道ですので軽登山靴が望ましいです。
積雪期は道が凍結していますので、アイゼンとストックが必要です。
水場:なし
WC:なし
- 難易度
感想コメント
滋賀県彦根市にある佐和山に行ってみました。
かつて佐和山には戦国武将の石田三成が居城とした佐和山城がありましたが、畿内と東国を結ぶ戦略上の要所であったことから鎌倉時代頃には既に山城が築かれていたといいます。三成は改修を行って山頂に五層の天守を持つ本格的な城郭を築いたとされ、これを揶揄して「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり、嶋左近に佐和山の城」と歌われたそうです。
また佐和山城は伊賀甲賀の忍びゆかりの地でもあり、伊賀崎道順が伊賀忍者44人と甲賀忍者4人を引き連れて城内へ潜入した事が「万川集海」に詳しく記されています。近江国守護職の佐々木(六角)承禎の幕下にいた百々某という侍が謀叛を起こして楯籠もった際、堅固な城は承禎が数日攻めてもなかなか落城しなかった為、腕のいい忍びの手配を伊賀楯岡の道順に依頼します。
道順は伊賀と甲賀で優秀な忍者を集めると、承禎の居城のある森山(守山)へ向けて出発。道中、伊賀湯船にある平泉寺脇で吉凶を占ってもらった宮杉という陰陽師から「澤山(佐和山)ニ百々トナル雷モ、イカサキ(伊賀崎)入レハ落チニケル哉」と門出を祝う和歌を送られています。道順の一行は承禎と攻撃の合図を決めると、変装して澤山城(佐和山城)に潜入。
「道順樵夫トナツテ澤山城ヘ忍入リ、後ニハ床下ニ隠レ居レリ」とある事から、道順は樵夫(きこり)に変装して忍び込んだ事が分かります。忍びらはこの時「妖者術」を用いたと記されていますが、これは忍び込む際に時と場所相応の姿に変装する術をいい、山の中にある佐和山城では物乞いや商人姿は目立つので、道順は怪しまれない樵夫に変装したようです。
忍びが内側から火を放って城内を混乱させている間に、合図を受けた承禎の軍勢が強襲。百々軍は消火と防戦の末に潰走したといいます。また「道順ガ一流四十八流ニナル故ニ、當代忍ノ事ヲ云者、伊賀甲賀ニ忍ノ流四十九流有ト云リ」とあり、この時の48人が各家に戻って忍びの流派を立ち上げ、道順の一流を加えて忍び流派は四十九流になったのだとしています…。
JR・彦根駅から出発し、まずは龍潭寺の登山口へ。ここ数日雪の日が続いたようで、車道は除雪されているものの、歩道は危険なくらいに凍結していました。佐和山城の復元模型のある公園を経て、龍潭寺に到着。石田三成公の石像のある道から入山。
標識などはしっかり整備されていますが、足元の雪が凍っている場所もあり、冬場はしっかりした登山靴が必要です。「切通し」「西の丸跡」を経て「本丸跡」のある佐和山の山頂に到着。三角点あり、展望が開けており彦根城もよく見えます。気温4度、積雪10cm。
彦根城の築城時に壊された佐和山城の資材を再利用したそうですが、雪に埋もれているのか遺構は全然残っていませんでした。本丸からさらに南を探索。大手方面に進むと「隅石垣」があり、これは城の石垣基底部だったそうです。近くには「千貫井」という井戸跡があり凍結していましたが、昔は城の貴重な水源地だったようです。
「太鼓丸」まで下ると「Uターン 私有地につき決められたルートをお通り下さい」の標識があったので、来た道を引き返して、JR・彦根駅に戻りました。
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