忍びの道を歩く 比自山~射手山 / 伊賀

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投稿者
上田 哲也
京都河原町店 店舗詳細をみる
日程
2018年10月31日 (水)~2018年10月31日 (水)
メンバー
グランフロント大阪店:上田
天候
晴れ
コースタイム
芭蕉の森公園・駐車場~50分~百田藤兵衛館~35分~比自山城(298m)~20分~城入口~20分~馬池~25分~西蓮寺~15分~常住寺~20分~射手神社(仏性寺跡)~25分~射手山(265.5m)~35分~芭蕉の森公園・駐車場
コース状況
芭蕉の森公園から比自山城までは途中で道がなくなり、一部ヤブコギを強いられます。
比自山城から長田観音三十三番までは道が消えており、一部ヤブコギを強いられます。
射手山はほとんど道が消えており、一部ヤブコギを強いられます。

水場:なし
WC:芭蕉の森公園
難易度
Google Map
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  • おとな女子登山部

感想コメント

三重県伊賀市にある比自山城と射手山城に行ってみました。

比自山は「長田山」「愛宕山」とも呼ばれており、かつては頂上部に観音寺があったそうです。第二次天正伊賀の乱(1581年)の際には北伊賀地域の地侍らが比自山に集結し、山頂に「比自山城」を築いて立て籠もり、圧倒的に優勢な織田信長の侵攻軍を撃退した「比自山の戦い」の舞台となっています。

「比自山の戦い」では比自山城北側の櫓「長田丸」を百田藤兵衛、南側の櫓「朝屋丸」を福喜多将監が守備していたといい、伊賀勢は風呂ヶ谷や比自山大門から攻め上がろうとした織田軍の蒲生氏郷や筒井順慶の軍勢を待ち伏せして撃退。その後、兵糧が乏しくなった伊賀勢は比自山城を放棄することに決定し、織田軍の総攻撃前夜になって籠城していた数千人は砦から密かに抜け出し、一夜にして全員が遁走。

翌日、織田軍が慎重に乗り込んだ時には砦はもぬけの殻になっていたそうです。「伊乱記」には伊賀忍者の行動は記されていませんが、夜討ちを仕掛けたり、織田軍の攻撃に関する動きを正確に捉えていた所を見る限りでは、忍者が敵陣に忍び込んだりして暗躍していたのは間違いなさそうです。大半の伊賀者らは大和や山城方面に逃走したそうですが、一部は最終決戦地となった柏原城に向かい、最後まで伊賀の国を守るために戦ったといいます…。

芭蕉の森公園の駐車場から出発。整備された階段状の遊歩道を登って行くと、すぐに遊具のある展望広場に到着。ここには「城山砦」の遺構があり、東に霊山と南宮山、伊賀衆の拠点があった平楽寺跡に建てられた伊賀上野城も見える事から、狼煙による合図を送っていた所と思われます。松尾芭蕉の句碑が点在する遊歩道を最上部まで行き、少し南に山道を下ると幅の広い谷へ到着。

この谷の下流に「風呂の谷池」がある事から、ここが蒲生氏郷や森秀政を敗走させた「風呂ヶ谷」と思われます。「風呂ヶ谷」を飛び石伝いに渡り、そのまま直進すると「百田城」の大堀切に到着。城の遺構を探しながら丘陵部を登って行くと、古い石階段と由来不明の神社あり。石垣で整備された神社の参道を下り、途中で右手の細い山道に入って道なりに下ると、長田保育園横にある伝「百田藤兵衛館」跡に到着。

再び山に引き返し、しっかりした山道を登って行くと「竹の池」に到着。ここから先は登るにつれて道が細く傾斜も厳しくなっていきます。「寄せ手の軍兵は勇を振ひて風呂ヶ谷の細道、或いは松が根を傳ひ…」とあるように、「風呂ヶ谷」の上部はもの凄く急峻で、織田勢が敗走する要因となったのがよく分かる地形でした。尾根に登ると傾斜は緩やかになりますが、所々に濃い藪あり。

館跡から約35分で比自山の山頂に到着。少し木に登ると西方面の樹間に展望あり。一番高い所が「長田丸」物見櫓の跡と思われ、土塁が残っていました。城跡を探索中に「長田丸」の東尾根で縄張図(城郭図面)に「蛙様」と記された石を発見!石祠の中に蛙っぽい生物の石像が…。西の斜面を下ると削平された道があり、散乱した無数の石塔や、埋もれた石仏が残されています。

観音寺跡を経て「朝屋丸」跡らしき場所から退城すると、外周部の濃い藪を抜け、織田勢の筒井順慶が撃退された大門坂と思われる谷を下り朝屋方面へ。谷底は倒木が多い為、獣道を進んで「馬池」に到着。ここからは「長田観音三十三番」の石仏が佇む快適な登山道となり民家の裏手に下山しましたが、登る場合は百田山不動寺の観音巡りコースから入る方が分かりやすそうです。「西蓮寺」「常住寺」を経由して、次は平野川の北にある「射手神社」へ。

「射手神社」の裏手には「仏性寺」跡があるといい、標識に従い山道を登って行くと、地蔵石仏が並んでいました。「風呂ヶ谷の合戦」では「仏性寺」方面からも織田勢の脇坂安治らが侵攻しています。神社に戻ると、民家の間にある登山口から射手山へ。石碑の裏から砂防ダムのある急傾斜な谷を直上すると、巨大な岩壁が出現し、さらに直上して稜線へ。約25分で射手山の山頂に到着。

かつて此処には射手山城があったといい、今ではほとんど見えませんが、北方面の展望が広がっていて信楽から御斎峠を下ってくる街道を一望出来たそうです。このルートは実際に織田の軍勢が侵攻したルートだといい、比自山城から死角になる方角を監視するために、伊賀衆が射手山の山頂に砦を築いたのではないかと考えられます。帰路は往路を辿って下山しました。

フォトギャラリー

霊山、南宮山、平楽寺跡に建てられた伊賀上野城

そろそろ紅葉の季節

比自山「城山砦」からの眺め

松尾芭蕉の句碑

そろそろ紅葉の季節

山路

比自山「風呂ヶ谷」

百田藤兵衛の居城「百田城」の堀切

「百田城」跡にある神社

伝「百田藤兵衛館」跡

比自山城「長田丸」跡の樹上から西の方角を見る

比自山城「長田丸」跡の土塁

比自山城「長田丸」跡の堀切

石祠の中に謎の「蛙様」石像を発見!

埋もれた石仏

長田観音三十三番

「常住寺」と比自山

常住寺からの眺め

射手山城からの眺め

射手山の巨石

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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