十文字峠 信州往還40km

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投稿者
好日山荘スタッフ
日程
2011年08月11日 (木)~2011年08月11日 (木)
メンバー
天候
晴れのち雨
コースタイム
栃本広場(60分)一里観音(55分)二里観音(65分)三里観音(75分)四里観音(15分)十文字小屋(35分)五里観音(55分)十文字小屋(160分)二里観音(50分)一里観音(70分)栃本関所跡(20分)栃本広場
コース状況
赤沢山北面巻きがガレていて倒木などの処理で足下不安定、コースも何度か上下に付け替えられているよう
難易度
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感想コメント

田部重治が奥秩父随一の峠(多分戦場ヶ原が好きだったからだと勝手に推測してますが)と言う十文字峠へ、古来からの道を使い栃本より信州へ抜け、さらに同じルートを戻ってくると言う山行を企画しました。総延長は40キロ程度、標準コースタイムは19時間程度でしょうか。
栃本の集落は古来より平地が少ないため、集落内には車が置けません。栃本広場という高台に綺麗なトイレが併設された駐車場が無料でありますので、そちらをお使い下さい。

今回は関所からスタートしようと思ったのですが、駐車場の高度があまりにも高いためそのままトラバースして登山道の一里観音手前へ入りました。しかし、フィニッシュは意地でも関所跡に拘りました。

出だしは一里観音までのトラバースなので比較的新しい道です。尾根上に忠実に道が付いていて、木製の階段まであります。森はこれ以上ないくらい手入れがされています。とても明るいです。

そのままゆとりある登山道を上り続け二里観音へ。ここにはこの峠唯一の展望のぞき岩があります。田部の明治42年の10月の記録による白妙岩がこれです。隣にある白泰山避難小屋が江戸当時の茶屋跡なのでしょう。田部の時代には無かったようですが、十文字小屋元管理人の山中邦治氏曰く、戦前まで茶店があったとのことなので、幾度か再興されたのかもしれないです。今は扉と窓が金属で蓋をされた殺風景な建物のみが残っています。この峠道は生活道路なのでここ以外展望がきく場所は十文字峠の展望台と信州方面に下る際の八ヶ岳あたりの景色、岩ドヤから望む両神山くらいしかありません。かなり渋いルートと再認識させられます。

続く岩ドヤの道と赤沢山の北面の巻き道とは、どれも幅が細く到底当時の往来が偲べる物ではありません。倒木の処理も追いついておらず、上に行ったり下に行ったり大変です。
赤沢山あたりもかなり岩が出ていて、往事は馬が行き来していたとは到底思えない道のりでした。

四里観音手前には避難小屋があり、これが旧十文字小屋です。少し登山道から外れるので今回はパスしました。水場があるようです。

四里観音を過ぎると十文字峠です。小屋では飲み物やカップ麺などが買えますが、僕が訪れたときは管理人さんが歩荷に出られていて誰もいませんでした。

その後そのまま信州方面へ一気に下ります。林相は急に明るくなり沢づたいに涼しげな道となります。毛木平まで行きたかったですが膝の調子がどうにも悪く、五里観音を見て折り返しました。

帰り道はペースを落としながら、日暮れまでに間に合うように下りていきましたが最後の10キロくらいで完全に歩きになりました。ロングトレイルは体が向いてないようです。

両面神社を過ぎてから関所跡までがダラダラと植林が長く、雨も降り出して滑りやすく苦労しました。関所跡でひとり感動のゴール、100年前の人々が往来した峠、秩父困民党が越えた峠、田部重治、木暮理太郎に思いを馳せ、最後の栃本広場までの20分の登りを何とか登り終えました。

フォトギャラリー

のぞき岩から雁坂峠方面

分岐の道標には手書きで情報が添えてありました

一里観音

白泰山避難小屋と奥に二里観音

三里観音

四里観音(三里から長い!)

信州側の峠道

五里観音

一緒に撮ろうとしたら被った

十文字小屋

栃本関所跡

キノコがいたるところに大量にありました

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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