葛木岳~湧出岳 / 金剛山

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投稿者
上田 哲也
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日程
2017年10月31日 (火)~2017年10月31日 (火)
メンバー
グランフロント大阪店:上田
天候
晴れ
コースタイム
バス停・金剛登山口~25分~千早城址~70分~國見城址~20分~葛木岳(1125m)~10分~湧出岳(1112.2m)~25分~國見城址~50分~バス停・金剛登山口
コース状況
コースはよく整備されており、非常に歩きやすいです。

水場:なし
WC:千早城登山口と山頂捺印所前にあり
難易度
Google Map
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感想コメント

大阪府南河内郡千早赤坂村から金剛山に行ってみました。

金剛山は古事記や日本書紀の時代から歴史の表舞台となってきた霊峰で修験道の修行の場として知られていますが、歴史上では楠木正成(河内の悪党で後の楠流軍学の祖)と鎌倉幕府軍の戦いの地としても数多く語り継がれています。

元弘元年(1331年)、正成は笠置山で挙兵した後醍醐天皇に呼応して金剛山麓にある赤坂城に籠城し、幕府側の討伐軍に対して徹底抗戦を開始。城が落ちると山中に潜伏し、次は金剛山の千早城に手勢800人と籠城して、10万人の幕府軍を迎え撃ちます。その後も近畿各地で激戦を繰り広げ、後醍醐天皇による建武政権の樹立に貢献したものの、最後は摂津湊川で自刃を遂げました。

正成の戦い方は従来の騎馬戦や組討とは異なり、熱湯落とし、岩落とし、待ち伏せ、藁人形の設置等、忍者を駆使した山岳ゲリラ戦が主体で、討伐軍を大いに悩ませたという話が「太平記」などに記されています。後にそれらの話を元に楠流軍学(楠流兵法)が創出され、「楠流」「南木流」などの流派となって各地に伝わったそうです。

江戸時代に著された「正忍記」は楠流軍学に含まれていた忍術を紀州藩士が纏めた伝書とされますが、尾張藩に仕えた甲賀者の末裔の家から発見された「渡辺家文書」の中にも「南木幕下軍要」「楠遺書」など楠流の兵法書があることから、正成の金剛山での戦いは後の時代の武士や忍者に非常に多くの影響を与えた事が分かります…。

バス停・金剛登山口から出発。千早城登山口(大手口)から入山し、まずは城址へ。100日間も戦い続け、幕府軍を撃退したという難攻不落の城だったことから想像はしていたものの、最初から五百数十段の急な階段の道は結構堪えます…。気温は約10度でしたが、汗ばむぐらいの運動量でした。

千早城址に造られた千早神社に参拝。「千早城址は絶対に落ちないパワースポット」との看板があり。受験、選挙、企業業績などで困った時にお参りすると、効果があるかもしれません。城址から金剛山への登山道を歩いていくと、左手に楠木正儀の墓(楠公首塚説もあり)あり。

整備された階段の道沿いには所々に地蔵があり、単調な山道に変化を与えてくれています。8合目ぐらいから、所々で紅葉が始まっていました。出発から100分ぐらいで、正成の城のひとつである國見城址に到着。展望の良い山頂広場があり、陽当たりも良いので、昼食にオススメの場所です。

城址から転法輪寺を経て、夫婦杉、福石などを眺めながら歩いていくと、葛木神社に到着。山頂は神域のため立入不可だったので、代わりに神社を参拝。さらに10分ほど進むと湧出岳の山頂に到着。三角点あり、展望なし。気温6度。帰路は楠木公も信仰していたという、知恵を授かる「文珠岩屋」に参拝。往路と同じ千早本道経由で下山しました。

フォトギャラリー

そろそろ紅葉

パワースポットなのです!

千早城登山口(大手口)

五百数十段の急な階段の道

千早神社

千早城址

楠木塚

単調な山道に変化を与えてくれる地蔵

天道地動之習「天道地動とは空にあやしき事をなし、地にふしぎのわざを作り…」(正忍記)

山頂まで階段が続く…

そろそろ紅葉

そろそろ紅葉

そろそろ紅葉

そろそろ紅葉

國見城址

國見城址からの眺め

夫婦杉

葛木神社

仁王杉

湧出岳の山頂

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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