猪子山~繖山(観音寺山) / 東近江

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投稿者
上田 哲也
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日程
2018年02月08日 (木)~2018年02月08日 (木)
メンバー
グランフロント大阪店:上田
天候
晴れ/曇り/雪
コースタイム
JR・能登川駅~20分~岩船神社~30分~猪子山(267.5m)~60分~雨宮龍神社~40分~繖山(432.7m)~20分~佐々木城跡~10分~観音正寺~10分~観音寺城跡~15分~繖山(432.7m)~35分~北腰越~40分~JR・安土駅
コース状況
猪子山から繖山にかけて、冬季は凍結箇所多数あり。アイゼン必携。
佐々木城跡、観音寺城跡のどちらも山道の為、スニーカーは不向きです。

水場:なし
WC:上山天満天神社にあり
難易度
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感想コメント

滋賀県東近江市にある猪子山から繖山(きぬがさやま)に行ってみました。

繖山は観音寺山とも呼ばれており、佐々木六角氏(近江国守護)の居城である観音寺城があったことで知られていますが、南北朝時代には既に小規模な城が築かれていたようです。時代の流れと共に幾多の争いの舞台となりますが、元々巨岩が多数存在していた為か、それらを用いた近代的な総石垣の山城へと変貌を遂げていったようです。

長享元年(1487)室町幕府の足利義尚が六角氏を征討するため観音寺城に軍を送ると、六角氏は城を放棄して甲賀に逃げ込み、甲賀武士の力を借りて山中でゲリラ戦を行い、幕府軍に激しく抵抗します。「鈎の陣」と呼ばれたこの戦いでは、忍びが義尚の本陣に夜襲をかけるなどして活躍し、全国に「甲賀忍者」の名が知れ渡るきっかけになったといいます。

甲賀の渡辺家に残る「江州甲賀廿一家之由緒書」には「此合戦ニ甲賀士五拾三人ノ内二拾一人、軍功依甚、二拾一家ト云」とあり、戦いに参加した甲賀武士を「甲賀五十三家」といい、その中でも夜襲の功績により六角氏から感状を貰った者を「甲賀二十一家」と呼んだ事が分かります。後に六角氏が織田信長に敗れると、甲賀忍者の一部は信長に仕えるようになったそうです…。

JR・能登川駅から出発し、猪子山公園の先から入山。「岩船」という船の形をした巨岩を祀っている岩船神社前の凍結した道を歩いて行くと、続いて古代の人々が崇拝していたという巨岩のある「磐座」あり。しばらく道なりに登って行くと、岩船に降臨した神と菅原道真を祀っているという上山天満天神社に到着。

積雪が凍結している為アイゼンを装着して、急な坂道を登って行くと、稜線の分岐に到着。左手に進むと、猪子山の山頂に到着。三角点あり。少し先の「北向岩屋十一面観音」の展望台が琵琶湖を一望でき素晴らしいです。気温1度。ここにも「磐座」あり。山頂に引き返すと、繖山へ縦走開始。なだらかな上り下りの続く道をしばらく行くと、展望の開けた岩場に到着。

さらに進むと昔は雨乞いを実施していたという雨宮龍神社あり。一旦下って「地獄越」に出ると、再び急な登り坂へ。山頂が見えているのに、なかなか進まない登り道でした。猪子山から約100分で繖山に到着。樹間に展望あり。気温2度、積雪15cm。山頂から南東に下って城めぐりを開始。まずは「佐々木城跡」へ。

石の階段や粗雑な作りの石垣跡が山道の所々にあり、石垣造りの初期の頃の城であった事が分かります。また「奥の院」の周辺には「ねずみ岩」をはじめ見応えのある巨岩がたくさんあります。観音正寺から奥に10分ほど進むと、「観音寺城跡」の本丸跡に到着。「食い違い虎口」以外にも周辺には見所がたくさんありますが、全部見ようと思ったら丸一日は掛かると思います。

帰路は雪が降り始めたので、山頂に引き返して北腰越に下山しました。

フォトギャラリー

繖山からの眺め

岩船

猪子山の山頂

猪子山からの眺め

磐座

北向岩屋十一面観音

雪道

展望ポイント

繖山へ

雨宮龍神社

雪道

繖山の山頂

三上山が見えます

佐々木城跡

石垣

「ねずみ岩」

観音寺城跡

石段

本丸跡

吹雪いてきました…

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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