奥秩父 滝川本流を旅する ~ 魅惑のゴルジュから珠玉の美渓古礼沢へ (雁坂峠東面 荒川水系)
- 投稿者
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伊藤 岳彦
横浜西口店
- 日程
- 2015年08月05日 (水)~2015年08月06日 (木)
- メンバー
- 単独行
- 天候
- 晴時々曇
- コースタイム
- ■ 8月5日(水)
国道140号出会いの丘(150分)釣橋小屋跡(100分)ブドウ沢出合(45分)古礼沢出合
■ 8月6日(木)
古礼沢出合(240分)稜線コル(210分)出会いの丘
- コース状況
- ■ 釣橋小屋跡へ至る古道は踏跡明瞭、赤布有
■ 吊橋手前左岸に幕営適地有
■ 中流部インゼル(中洲)に幕営適地有
■ 残置ロープに異常なし
■ 古礼沢出合右岸台地に幕営適地有
■ 古礼沢上流部に幕営適地特になし
■ 最上流部は伏流のガレを登ります
■ 地形をよく見て詰めると藪漕ぎなしで稜線へ
■ 雁坂小屋には水場、トイレ有 使用料¥100
■ 「出会いの丘」駐車場はトイレのみ、売店・自販機なし
■ 長時間駐車の場合は、登山届の提出が必要です
■ 雁坂トンネル通行無料 ~11/30
- 難易度
感想コメント
秩父盆地から関東平野を辿り、東京湾に注ぐ大河川・荒川。
その水源は奥秩父北面に源を発する大血川、中津川、大洞川、滝川、入川、これら5つの谷に分かれます。なかでも最も水量が豊富で、迫力ある奔流と奥深い渓相で遡行者を魅了してやまない一大渓谷が「滝川」。和名倉山から雁峠、雁坂峠を経て突出(つんだし)尾根で囲まれた広大な面積の水を集めて北走する長大な渓です。
滝川は多くの支流ーーー美渓として名高い「豆焼沢」や、静寂に満ちた「金山沢」と「槙ノ沢八百谷」、下降に適した「曲沢」、雁峠へ詰める「ブドウ沢」などーーーを擁し、本流の最後は、「面蔵滝」など連瀑の続く「水晶谷」と、美しいナメがどこまでも続く「古礼沢」に分かれます。
1998年雁坂トンネルの開通により、明らかに水量が減るなど、自然の原始性においては、荒川本流とされる「入川」に一歩譲るところはありますが、美しくも険しいゴルジュや閉塞的な暗さのなかに広がる大釜、そして原始の香りが色濃く残る苔むした渓相が醸し出す“渓としての奥深さ”は荒川水系随一。同じ奥秩父山塊でも、笛吹川水系や多摩川水系の明るい渓にはないあまりにもディープな世界がそこにはあります。
滝川本流を豆焼沢出合から遡行する場合、国道140号「出会いの丘」駐車場に車を停め、天狗岩トンネルの先から下降するのが一般的です。しかし、黒岩尾根に未だ残る古の踏跡を辿って豆焼沢出合へ下降することもでき、こちらのルートの方がまだ風情があるように思えます。
滝川本流はとにかく長い!ので、熊穴沢出合手前の釣橋小屋跡へ至る作業道を使い、中流部から入渓することも可能です(蛇足ですが、この道はかつて雁峠越えのために使われていた古道の一部であり、釣橋小屋跡から先は通り尾根沿いに登り、笠取山北面をトラバースするものでした)。場合によっては、豆焼沢出合から釣橋小屋跡までの下流部のみを日を分けて分割遡行するなど、各自の時間的余裕や体力、経験、低水温に対する強さを考慮し、最も安全性の高い計画を立てるべきかもしれません。
また滝川本流は渓としてとても長いだけでなく、下流部は特に水量が豊富で、水温が低く、流れにも勢いがあります。さらには薄暗いゴルジュや規模の大きな釜が連続するので、泳ぎ・へつり・高巻き・懸垂下降などを容赦なく強いられ、とにかく体力を消耗します。もはや“楽しい沢登り”の次元を遥かに越えて、己の体力と精神力の強さが問われる沢旅の様相を呈し、原始の深い森のなかで、人が渓を辿ることの素晴らしさと厳しさを、遡る者の心に刻み付けてくると言っても過言ではないでしょう。
7月の終わり、滝川本流遡行の予行演習とトレーニングをかねて、同じ荒川源流域の入川本流を赤沢谷出合から柳避難小屋まで遡行。
今回は満を持して、滝川本流、そして古礼沢へ。
本来なら豆焼沢出合からスタートするべきなのですが、時間的な制約がどうしてもあるので中流部にある釣橋小屋跡からの入渓。過去に下流部を金山沢出合まで遡ったことがありますが、豊富な水量と低水温だけが強く印象に残っており、さすがに2日で全てを遡行する自信はありませんでした。
灼熱の太陽が容赦なく照り付ける「出会いの丘」をあとに、まずは釣橋小屋跡を目指します。林道終点より少し先に分岐があり、雁坂峠へ至る黒岩尾根登山道を右に分けて、古道を辿ります。踏跡は明瞭で釣師が訪れていることがうかがえます。一部に厄介な倒木もありますが、道に崩壊はなく、赤テープも豊富なので迷うことはありません。2つ枝沢を横切り、地形図の1217m地点から枝尾根を急下降。結構長く急峻な下りですが、残置ロープもあり、ぐんぐんと高度を下げます。陰鬱な谷底に降り立つと、否応なく緊張感が高まります。どうやら釣橋小屋跡よりも少し下流に降り立ったようです。しかし地形図的には、最も理に適った下降ルートであるように思えます。
入渓してわずかな距離で、朽ち果てて崩壊した吊橋が現れます。美しい苔に囲まれた釣橋小屋跡もあり、どんな人がどんな想いでここを訪れていたのか、柄にもなく想像してしまいました。左岸にとても素敵な幕営適地が一つあるので、是非一度一夜の夢を預けてみたいところです。
奥秩父の歴史の残滓ともいうべき釣橋小屋跡を後に、いよいよ滝川本流核心部へ。
ここ数日ゲリラ雷雨がないのか、入川に比べれば水量は多くなく、水温も特に低いわけではありません。この分なら順調にいけそうです。
概ね穏やかな渓相で沢は幾重にも急カーブし、角を曲がるたびにワクワク感と緊張感が入り交ざった妙な気持ちにさせられますが、光り輝く苔や花崗岩の白さなど、時折滝川は優しい表情をみせてくれます。
いくつかある連瀑はヘツリ、高巻き、直登、懸垂下降などで無心で越えていくと、いよいよ核心部の悪場へ。といっても下段上段の滝それぞれに残置ロープがあるので、慎重に体重移動を行えば問題はありません。下段の8m滝は右壁を「くの字」に登り、上部残置ロープ沿いにトラバースしますが、最後のスタンスでバランスを崩さないよう注意が必要でしょう。上段の滝は左壁に幾つもぶら下がる年代物のスリングに体を預け、強引に突破します。ツルツルに磨かれた岩肌は滑りますが、ソールを張り替えたばかりのフェルト靴のフリクションは抜群!冷静に悪場を越えると、勢いあるブドウ沢が出迎えてくれます。ただ下流から低水温のなか遡行してきた場合は、この悪場を疲れた身体で突破することになるので、ミスを絶対にしないよう充分注意をしたいところです。
その先もゴルジュや釜が続きますが、難しいところは特になく、ツルツルの小滝などは残置スリングを頼りに越えていきます。
悪場から小1時間でようやく古礼沢出合へ。初日は出合にある右岸台地でビバークすることにします。ここが唯一の幕営適地でしょう。このような暗い谷底で夜を明かすのは初めてでしたが、かえって獣に怯えることがなく精神的には楽なビバークでした。焚き木がろくにないので、盛大な焚き火ができなかったのが残念ですが、哀しい鹿の夜啼きが夜通し谷底にこだましていたのが幻想的でした。
翌日は途切れることないナメと苔むした渓相が続く古礼沢へ。
谷底に陽が射し、気温が上昇してから行動を開始しました。
序盤は引き続きゴルジュ。小さな釜と小滝が続き、幾つかは倒木サーカスをしながら越えていきます。ほどなく古礼沢最大といってもいい2段2条10m滝へ。左壁を軽快に登れますが、中央の水線上をルートにしてもよさそうです。
この滝を越えると渓相は徐々に優しくなっていき、目を見張るほどに美しいナメ床が迎えてくれます。200mクラスのナメ床が幾つかあり、白い絨毯のうえをリズムよく登っているとあまりの美しさに時間の観念を忘れてしまいそうになりました。古礼沢のナメ床は世に広く知られたものではなく、同じ滝川水系の豆焼沢のナメ床のように有名であるわけではありませんが、手つかずの原生林のなか、芸術的に美しい苔と見事に調和している渓相はまさに奥秩父の隠れた白眉。本当に美しい森とはこのようなものなのかと、まざまざと自然の神秘を見せつけられたような気がしました。
どこまでも果てしなく続くような気にさえなるナメ床をゆっくりと歩き、そして青空のもと稜線が見えてくるとこの沢旅も終わりに近づきます。
最上流部は伏流のガレとなるのが残念。ただ水がゴーゴーと流れる石ガレの上を歩いていくのは初めてであり、とても不思議な感覚でした。水晶山の崩壊地から連なる大ガレを越えると、流れがやや復活。古礼山と水晶山のコルを目指して、一番登りやすそうな左岸涸沢を辿ると、藪漕ぎなしで登山道へ。盛夏の主稜線は誰もおらずとても静かで、ここでも鹿の啼き声が響き渡っていました。
帰路は快適な黒岩尾根道を駆け下ります。
この道は長らく廃道だったものですが、国道140号豆焼橋の出現によって2000年に復活再建されたルート。本来は滝川の豆焼沢出合に至るものでしたが、現在は林道も開発され、豆焼橋へと安全に導いてくれます。途中黒岩付近より望む水晶谷の巨大排気口が目に付きますが、実はこのルートは手つかずの美しい原生林が広がる素晴らしい登山道です。非常に歩きやすく、展望はないものの清々しい森林浴を堪能できるので、ランナー系の方や、ハイキングから少しステップアップを考えている方にもオススメです。初めてのテント泊で雁坂小屋を目指すのもよいでしょう。
魅惑のゴルジュを抱く滝川本流と、珠玉の美渓古礼沢。
心から遡って良かったと思える、本当に素晴らしい沢旅でした。
記憶の芯に残るような沢旅ができたときの充実感は、きっと自分の心を豊かなものにしてくれるはず。それはちっぽけな自己満足や優越感からくるものではなく、美しくも厳しい世界を眼にしたときに感じる謙虚さからくるものであると信じたいところです。
昭和を境に、本格的な遡行を志す方は明らかに減少の一途を辿り、荒川水源地帯は再び原始の世界への回帰をゆっくりと始めているように思えます。しかしその世界の一端に一度触れれば、きっと生きていくうえで大切な何かを教えてくれるような気がします。これからも奥秩父の渓を自分なりに旅するなかで、本当に大事なことを学んでいければと思います。
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