竜神山(高善山)~柏原城址 / 名張

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投稿者
上田 哲也
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日程
2017年11月28日 (火)~2017年11月28日 (火)
メンバー
グランフロント大阪店:上田
天候
晴れ
コースタイム
八幡神社(星川集会所)・駐車場~55分~七ツ池~25分~カジカ滝~30分~七ツ池~10分~竜神山(466.2m)~15分~竜神祠~30分~柏原・登山口~15分~柏原城址~30分~八幡神社(星川集会所)・駐車場
コース状況
集会所の駐車場に至る道、かなり狭いので運転時注意が必要です。
竜神山までは標識を追って行けば山頂に着きます。
七ツ池からカジカ滝へは標識がなくテープ目印のみ。
竜神山から柏原・登山口への下りは非常に滑りやすい所があります。
柏原城址は「マムシ注意」の看板が至る所にありました。

水場:なし
WC:なし
難易度
Google Map
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感想コメント

三重県名張市にある竜神山から柏原城址に行ってみました。

竜神山(高善山)は景勝地である赤目四十八滝の少し手前に位置しており、竜神信仰の山として地元で知られていますが、ほとんど人が入らず荒れた状態になっていた登山道を最近になって再整備したそうです。北西の丘陵地には第二次天正伊賀の乱(1581年)の決戦地として知られる柏原城址があります。

当時の柏原城は二重堀と林に囲まれていたといい、鉄砲の弾や矢を通さない天然の簾状態の密生した樹木は、城兵から寄せ手の動きが見えても寄せ手から城兵の動きを見せず、損害の続出した織田信長の軍勢は兵糧攻めに作戦を変更。最終的に、仲介者を通して和睦開城し第二次伊賀の乱は終結します。

柏原城には城主の滝野吉政や百地丹波(伊賀忍者の頭領)、比自山城から落ち延びてきた伊賀衆の残存勢力、家族ら1600余人が立て篭もっていたと「伊乱記」に記されており、毎晩のように夜襲を掛けるなどして織田軍に激しく抵抗を続けていましたが、食料が乏しくなってきた事から脱出作戦を計画。

物乞いに変装して城を出た忍び3名が山に避難していた農民らと接触し、夜間の松明点灯によって増援と見せかける陽動作戦を実施。最終的に計略は見破られますが、織田軍が混乱している隙に家族らを逃すことに成功したといいます。数日後の和睦開城の際に丹波の姿はなく、故郷を追われた伊賀忍者らは全国に散り、各地の武将に召抱えられ乱戦の世を生きたといいます…。

星川集会所の駐車場横にある八幡神社から入山。樹林帯の中を沢沿いに進んで行くと、炭焼き窯の跡、星川不動滝、線刻磨崖、石切場跡などがあり、結構飽きさせない道になっています。「星川」は昔この川の近くに大きな隕石が落ちた事が地名の由来となっており、その名残なのか至る所に露出した岩がありました。

竜巻滝、七色滝を経て、千枚滝の源流部に登って行くと、七ツ池に到着。山頂とは逆方向の左に曲がり、白いガードレール横から池の周回コースに入って、池の南端の分岐に到達。ここからさらに南下して、カジカ滝へ。落差のない滝ですが、修験の行場らしく凡字の書かれた柱が立っていました。

再び七ツ池に戻ると、約10分で竜神山の山頂に到着。三角点あり、展望なし。気温9度。山頂からは柏原方面に進んで、山名の由来である竜神を祀る祠に参拝。番人として黒蛇が2匹いたという「大岩さん」を経て下って行くと、展望ポイントがありました。伊賀の乱の際は、この辺りで松明による陽動作戦を実施したのかもしれません。

祠から30分で柏原に下山。15分ぐらい歩くと勝手神社に到着。「決戦之地柏原城」の碑があります。神社から少し離れた所にある小高い丘が柏原城址。南面に古い墓が並んでおり、竜神山がよく見えます。城址への道は簡単に整備されており、かなりの深さの二重空堀や石落とし用の土塁跡、井戸跡などが残っていました。

帰路は山裾の道が抜けられなかったので、住宅街を迂回して八幡神社(星川集会所)・駐車場に戻りました。

フォトギャラリー

展望ポイントから額井山方面を望む

八幡神社

山道

不動滝

石切場跡

千枚滝

紅葉

七ツ池

カジカ滝

竜神山の山頂

竜神山の由来

山神

竜神を祀る祠

「大岩さん」

紅葉

茶臼山方面

長坂山方面

「決戦之地柏原城」の碑

竜神山がよく見える

柏原城

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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