茶臼山 / 名張

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投稿者
上田 哲也
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日程
2017年12月15日 (金)~2017年12月15日 (金)
メンバー
グランフロント大阪店:上田
天候
晴れ
コースタイム
バス停・中才~10分~勝手神社~50分~茶臼山(535.4m)~30分~勝手神社~10分~バス停・中才
コース状況
勝手神社から茶臼山までは標識を追って行けば山頂に着きます。

水場:なし
WC:勝手神社にあり
難易度
Google Map
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  • おとな女子登山部

感想コメント

三重県名張市にある茶臼山に行ってみました。

茶臼山は名張市黒田のすぐ西に位置する山ですが、少し南東に行けば「天正伊賀の乱」の最終決戦の地で知られる柏原城址や、景勝地の赤目四十八滝があります。鎌倉時代の黒田周辺は東大寺の荘園であり、この黒田荘を「黒田の悪党」と呼ばれた大江氏が蜂起して実効支配すると、鎮圧しようとする幕府軍との間で長期にわたる争いが発生します。

板蠅杣を母胎とする「黒田の悪党」は杣工(木を切り製材などをする人々)が領地争いで戦うようになったのが始まりのようですが、山地での戦いに優れた彼らが盗賊や遊芸の民、陰陽師や山伏などから様々な技術や知識を学んだ事で、後の時代の忍者の原型が生まれたのだと言われています。ちなみにこの「悪党」は悪人ではなく、荘園領主の敵対者を意味。

荘園の崩壊と同時に武士の時代が到来すると悪党は地侍や国人となり、地域を支配する「伊賀国衆」と呼ばれる土豪として勢力拡大や自領を守るための拠点と住居を兼ねた小規模な城館を各地で築きますが、昔の伊賀国の地域だけで600以上の城や館跡が確認されているそうです。

伊賀では一国を支配する領主が現れなかった為、土豪同士が自治共同体の組織として「伊賀惣国一揆」を作り他国からの侵略に備えましたが、「天正伊賀の乱」で織田信長に全土を制圧され終わりを告げます。小国が大国や強国の近くで生き残るには情報の入手が不可欠ですが、京都や奈良に近い伊賀や甲賀はその独特の地域性により特に忍びの術が発達したのだと考えられます。

バス停・中才から出発。坂の手前に「錦生のあの道この道」という大きな案内板があり、この周辺の歴史や見所などを分かりやすく説明しています。約10分で勝手神社に到着。本殿の横からは名張の町や麓に柏原城址のある竜神山などが一望でき、ご来光や夜景スポットとしても知られているようです。

簡易舗装の道を少し歩き「茶臼山 山頂↑」の標識に従い山道へ。急傾斜の登山道は落ち葉が大量に積もっており、下に大きな石が隠れていたりするので結構歩きにくかったりします。「黒田の悪党」はこういう所に幕府軍をおびき寄せ戦ったのかもしれません。傾斜が緩くなった所で稜線の道に合流。

道なりに歩いていくと、複数の電波塔が立ち並ぶ茶臼山の山頂へ到着。三角点あり、展望は電波塔の隙間にあり。気温6度。山頂から少し下った所からは、山添村方面が望めます。帰路は往路を戻りましたが、落ち葉の下に隠れている石で足を挫きそうなので、「正忍記」に書かれている「摺り足」を用いて下山しました。

フォトギャラリー

茶臼山から山添村方面を望む

茶臼山へ

「錦生のあの道この道」

「錦生のあの道この道」

無動寺と山の神様(石垣の右)

勝手神社

石灯篭

名張の町

竜神山(中央)

神社の裏へ

茶臼山ハイキングコース

石に注意

歩きやすい道

歩きやすい道

電波塔

三角点への道

茶臼山の山頂

展望は電波塔の隙間から…

拡大して見る

落ち葉の中の隠れた石には「摺り足」が有効です

・実際に行かれる際は、現地の最新情報をご確認ください。
・ご自身の技術や体力に合った無理のない登山計画で山を楽しみましょう。

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