阿弥陀山と神代文字石 / 近江高島
- 投稿者
-
上田 哲也
グランフロント大阪店
- 日程
- 2018年01月19日 (金)~2018年01月19日 (金)
- メンバー
- グランフロント大阪店:上田
- 天候
- 晴れ
- コースタイム
- 中野太山寺・バス停~35分~太山寺城跡~30分~阿弥陀山(453.6m)~15分~阿弥陀山・展望地点~15分~阿弥陀山(453.6m)~10分~中野・登山口~15分~高面山(302m)~30分~中野太山寺・バス停
- コース状況
- 阿弥陀山は標識を追って行けば、太山寺城跡経由で山頂に着きます。
阿弥陀山から高面山への道はかなり荒れていました。
水場:なし
WC:なし
- 難易度
感想コメント
滋賀県近江高島市にある阿弥陀山から高面山に行ってみました。
比良山系の最北端に位置している阿弥陀山は、古くから西方浄土の信仰対象であったそうですが、戦国時代には太山寺城が築かれていたそうです。近江国守護であった佐々木一族は1221年の「承久の変」の後に大原、高島、六角、京極の4家に分かれたといい、その内の高島家の分家筋であった朽木、横山、田中のいずれかが、太山寺城の城主だったと考えられているそうです。
中野太山寺・バス停から出発。登山口に休憩小屋があり、周辺は私有地の為「駐車禁止」の標識が立っていました。「←山頂」の標識に従い歩いて行くと「旧太子堂跡」があり、聖徳太子によって創建されたという往時の太山寺を偲ばせます。
標識に従ってさらに進むと太山寺城の入口に到着。木橋を渡り参道から入城。斜面にぽっかり穴が開いており、中を覗いてみると人的採掘痕のある深い洞窟になっていました。高島では江戸時代に硯の原石として玄昌石、虎斑石を採掘していたといい、その採掘穴かもしれません。10分ちょっとで本堂に到着。
城郭というよりは元々ここにあった寺に手を加えて、山城にしたというような感じでした。木橋に戻って山頂へ向け登っていくと、材木などの運搬に昔は使われていたという、木馬道跡に合流。少し積雪が出てきた所で、阿弥陀山の山頂に到着。三角点あり、樹間に展望あり。気温9度。5kmほど北にある自衛隊の演習場から時々砲声が聞こえてくるので、妙に落ち着かない山頂でした。
山頂から15分ほど先にある展望地点にて休憩。蛇谷ヶ峰や福井方面の山がよく見えました。阿弥陀山の山頂に戻ると、荒れた道を下って中野・登山口のある林道に下り、そのまま隣の高面山へ。道の痕跡を探しながら15分ほど登っていくと、高面山の山頂に到着。三角点なし。樹間に少し展望あり。下りは林道に戻り、庚申塔経由で中野太山寺・バス停に下山しました。
帰路はJR・安曇川駅から1.5kmほど南にある安閑神社へ立ち寄ってみました。ここには「神代文字石」という不思議な記号文字を刻んだ非常に珍しい石があり、日本語の漢字などが生まれる前に使われていたという神代文字説、古代文明のペトログリフ(岩石彫刻)説などもありますが、内容は未だに解読されていません。
近くにある鴨稲荷山古墳の家形石棺からは立派な金銅製冠が出土している事から、古い時代に古墳の石室の一部だったのかもしれません。20年ほど前までは安閑神社の中に祀られていたそうですが、由来も不明だそうです。以前は現在と上下逆に置かれていたといい、画像を上下逆にしてみると古代人によるメッセージの謎が…。ミステリー好きな方は必見です。
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