忍びの道を歩く 甲賀山~弘浪山 / 氷上

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投稿者
上田 哲也
日程
2018年05月16日 (水)~2018年05月16日 (水)
メンバー
グランフロント大阪店 上田
天候
晴れ
コースタイム
バス停・丹波市役所~15分~甲賀山(167m)~15分~大護神社~25分~黒田・登山口~50分~高山寺~15分~弘浪山(520.0m)~50分~柿柴登山口~20分~バス停・丹波市役所
コース状況
「弘浪山最短路」は、かなり傾斜のある山道を登ります。

水場:なし
WC:甲賀山の南側登山口にあり
難易度
Google Map
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感想コメント

兵庫県丹波市氷上町にある甲賀山から弘浪山に行ってみました。

甲賀山は平安時代には高岡山と呼ばれていましたが、戦国時代末頃に甲賀武士が砦を構え一時居住していたことから、「甲賀山」と呼ばれるようになったそうです。昔は甲賀山の一部だったという現在の丹波市役所の住所は「氷上町成松字甲賀」であり、甲賀忍者らがこの辺りに屋敷を構えて居た事の名残と考えられます。

甲賀武士の一族であった佐治氏は戦国時代になると近江国の六角氏に仕えて戦い、「鈎の陣」で戦功を立てた事から甲賀二十一家(甲賀忍者の名家)に数えられています。六角氏を離れた後、佐治為次が織田信長に従い甲賀に所領を得ますが、尾張国の知多で水軍を持つなど勢力を振るっていた佐治為興(佐治氏の分家?)も信長に属し、妹婿となり信方と名を改めて仕えています。

「本能寺の変」で信長が倒れると甲賀の佐治為次は豊臣秀吉に仕えますが、尾張の佐治一成(信方の子)は「小牧・長久出の戦い」で敵陣営(織田信雄・徳川家康勢)に加担。内通の疑いをかけられた甲賀衆は、紀州攻め時の工事遅れを理由として秀吉により領地没収された為、佐治城に籠って抵抗しますが敗退。追放された一成は伊勢で信長の弟・織田信包の家臣となります。

慶長三年(1598)秀吉の命により移封(国替)となった織田信包と共に、佐治一成は丹波国氷上郡柏原に居城し筆頭家老を務めたといいます。氷上には明智光秀に滅ぼされるまでは佐治郷があったといい、甲賀の佐治家にも丹波国出身説がある事などから、戦国時代の末に柏原から近い「甲賀山」に砦を築いたのは、この地と昔から縁のある佐治一族に仕える甲賀忍者だったのかもしれません…。

丹波市役所前から出発。南側にある登山口から入山。整備された山道を登って行くと、約15分で山頂部に到着。三角点なし、展望は少し手前から見えるようですが、朝霧が出ていてほとんど見えませんでした。ミニ八十八ヶ所巡りの石仏を横目に、山道を下って行くと大護神社の裏に下山。住宅街を歩いて次は弘浪山の黒田・登山口へ向かう。

車道脇の茂みの中に埋もれた登山口から入山。獣避けの柵を越え再び山道を歩き出すと、樹木の間に氷上の町並が見えてきます。弘浪山にはかつて高山寺城があったといいますが、高山寺を城砦として使用した為か、城址を感じさせるものがありませんでした。30分ほどで展望所に到着。周辺は視界が開けており、弘浪山の盗人崩し岩や、柏原方面、明治山と霧山など氷上の町並を見渡す事が出来ます。

盗人崩し岩から少し下って鬱蒼と茂った谷に下りると、高山寺跡に到着。石垣跡などが残りますが、ここでの見所は神々しさを感じるイチョウの巨木で一見の価値ありです。「弘浪山最短路」の標識に引き寄せられ、取り付いた登山道は恐ろしく急勾配の道でした。45度ぐらいの傾斜を直登しますが、山頂直下になるとさらに険しくなり、木の根を掴んで無理やり攀じ登るような感じです。

出発から1時間ちょっとで弘浪山の山頂に到着。三角点あり、展望あり。気温26度で相当暑い…。早くもセミが鳴いていました。帰路は柿柴登山口に下山して、丹波市役所前に戻りました。

フォトギャラリー

弘浪山の展望所からの眺め

甲賀山の案内

甲賀山の登山道

もみじ

朝霧に包まれる弘浪山

甲賀山の山頂部

神社と霧山

弘浪山

弘浪山の登山口

弘浪山の登山道

岩っぽくなってきた道

盗人崩し岩

盗人崩し岩から甲賀山を望む

高山寺跡

イチョウの巨木

神々しさを感じる巨木

弘浪山の山頂

山頂からの眺め

弘浪山不動尊

柿柴登山口から見た安全山

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